祭神は此花咲夜姫
大橋五郎左衛門によって建てられ、どんな高波もこの石を越えて陸地に打ち寄せることはないと伝えられる石
鳥居の間から富士山を望むことができる
江戸時代初期に開山。幕末には徳川藩士が寺子屋を開設、この寺子屋はのちに原小学校となる
愛鷹浅間神社。桃里改称記念碑がある。
元は助兵衛新田という地名だったが、「すけべえ」が悪い意味で使われるようになり改称になった
愛鷹山麓の古墳群の一つで、現在西椎路の山神社の境内に2基の円墳が並んで残っている
双方中円墳で古墳の上に庚申塚があり、名前の由来となっている
木道からは、絶滅危惧種のヒノキカサのほか全国的にも貴重な植物を見ることができる
400年程前に生贄に捧げられた巫女「おあじ」を祀った神社。
東田子の浦駅の北側、浮島沼の干拓の為、排水路スイホシ(現在の昭和放水路)を建設した。
東田子の浦駅の北側、浮島沼の干拓の為、排水路スイホシ(現在の昭和放水路)を建設した。
本社は和歌山県にある淡嶋神社
寛文3年奉行中村四郎衛門により建立された。
創祀は元亀3年(1572)。万治年間(1658~61)に海嘯より流出、現在地に遷座された。
三新田が雨のたびに湖のようになり困っていたが、高橋勇吉が私財を投じ排水路を作り人々を助けた。
沓石という沓に似た石で、足の悪い人がこの石を撫でて祈れば霊験あらたかとされている
明治時代、沼川を渡る旧東海道の重要な橋