宇津ノ谷峠越えの最も古い道が蔦の細道。現在ではその古道が復元されハイキングコースとなっている。
豊臣秀吉の陣羽織が拝観できる。
宇津ノ谷峠を越える旅人が、鬼に会わぬようお参りしたという延命地蔵尊を安置している。
宇津谷峠の登り口にある頭上に馬頭を載せた観音様。
延命地蔵堂が建てられていた場所。1656年(明暦2年)に、狩野探幽作の「東海道地取図巻」に描かれる。
明治9年(1876)宇津ノ谷峠に初めてできたトンネル 木枠で内部を支えた日本初の有料トンネル
南無妙法蓮華経の文字が髪のようにはねた独自の字体なのでこう呼ばれている。
正式名は木和田川砂防1号堰提。明治時代に作られた堰提で、国の登録文化財になっている。
旧東海道、蔦の細道岡部側口の所に整備された公園
文政13年(1830)に駿府代官羽倉外記が幻の古道となっていた「蔦の細道」を記念して建立した。
動かなくなった牛を子供に化身した地蔵が牛の鼻を引いて動かしたことに由来
江戸時代末期の建築と言われる古い観音堂。中には厨子が二基ある。
西行の弟子西住は旅の途中病死。西住を葬った塚の横の松に、西行の歌が記された笠が架けられていた。
参勤交代の大名など身分の高い人たちが利用した。岡部宿の本陣は跡を残すのみとなった。
長旅と病気でやつれてしまった小野小町が、この橋の下に写る自分の姿を見て悲しんだという言い伝えがある。
幕府の公用旅行者のために人や馬の手配をした問屋場の跡。岡部宿には2箇所あった。
昔の掲示板。法度や掟を知らしめるために立てた札、高札の跡
多宝塔は開基である政薩院日勇の50回忌に静岡県の名工松浦茂治氏が7年を費やして作った。
光泰寺には、柳宗悦が絶賛した聖徳太子像と准胝観音菩薩立像の2体の木喰仏が安置されている。