幕府の公用旅行者のために人や馬の手配をした問屋場の跡。
しばしば氾濫する大井川から守ってもらおうと建立されたと伝えられる。江戸時代には大井大明神と呼ばれた。
江戸時代のこの寺の鐘は「時の鐘」として島田宿に時を告げていた。
無住職の小さな寺で六地蔵と吉三郎の墓がある。
川越人足たちが集まった番宿や、川会所、札場などが保存されている。
川会所の役人と人足の代表が川の深さを計り値段を決定し川越札を発行した場所。
盲目の娘・朝顔が、奇跡的に目が見えるようになり、初めて目に入ったのがこの場所の松だったという。
秋葉神社を商店街の祠として祀っている。
江戸時代の泥棒、日本左衛門の晒された首を持ち帰って葬ったと伝えられる「日本左衛門の首塚」がある。
加藤家は江戸時代に建てられたもので、家の中から貴重な品々が見つかった。
山田屋、佐塚屋、柏屋の三軒の本陣と脇本陣、問屋場、助郷会所等があった。
江戸より53里の一里塚
道のべの木槿は馬に喰われけり、の芭蕉句碑がある。芭蕉の歌碑をめぐるウォーキングコースになっている。
若一王子・姫宮を祀り金谷宿の氏土神にし、明治3年に厳室神社と改称した。