金谷坂峠の坂道を旅人が歩きやすいようにと江戸幕府が整備したもの。
石畳の道が「すべらない」ことから、受験や商売などの願いが叶うというのが由来
明治天皇御駐軍防の隣にあり、「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」と記されている。
明治天皇が都を京都から東京へ移すため行幸した。巡幸のみぎりと2回の休憩を記念して建てられた碑
最初に武田信玄が砦を築き、武田勝頼が築城した山城。武田・徳川両軍の激戦地として名高い。
「青ねば」というすべりやすい土質の為、江戸時代に石畳が敷かれた
中納言藤原宗行が承久の変で捕らえられ鎌倉へ護送中に詩を書き残した
夜に泣き声が聞こえるとか、願掛をすると小児の夜泣きがなおるという石。
掛川城主山内一豊が、関ヶ原の合戦に向かう徳川家康に茶の接待をした寺といわれる。
西行法師が険しい山道を差し掛かった感慨を詠ったものが碑に刻まれている。
江戸から54里目の一里塚
小夜鹿一里塚より西にある神社。由来等は不明
北条時行の一族名越太郎邦時が中先代の乱にて今川頼国と戦い討死。武勇を称え頼国がここに葬ったとされる。
美しく枝を伸ばしたシイの木がシンボルとなっている。