蛇身鳥退治に京都より下向してきた三位良政卿が乗ってきた愛馬を葬ったとされる。
良政卿の娘、小石姫が嫌な結婚を前に松の根元で自殺した後、葬られた場所と伝えられるもの。
婚約者との恋が実らず自害した小石姫の霊が松に宿り、旅人にその悲しみを語ったことから夜泣松といわれた
かつてここに大きな松があり、松尾芭蕉が句を詠んだ。これによりこの松周辺を涼み松というようになった。
夜泣石跡の標柱。東京の博覧会があり、出品された帰途、現在の位置に移った
宝永堂版東海道53次日坂小夜の中山絵碑
急な坂の途中にあり、沓掛集落がこのあたりにあった。
井戸掘り伝説のある弘法大師により作られた。亡くなってから100年たつが、いまだに水が出ている。
鎮火、防火の神として信仰を集めた、静岡県秋葉山の秋葉神社の灯篭
日坂宿のおよそ中央にあたる本町沿いにあり、建物も現存せず、現日坂小学校跡地となっている。
宿役人が問屋、年奇、請払、馬指、帳付、人足割、同下役と各一名問屋場につめていた。
昔の佇まいを再現した旅籠。
日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七邸
庶民の泊まる旅籠で、店舗から宿泊のための座敷など今も残している。
今も現存する旅籠屋
旅籠が満員のとき寺院への宿泊があった。
観音堂脇に33体の観音石像がある。遠江33観音霊場
日坂本陣、片岡清兵衛の墓がある。
街道に面し、相伝寺境内脇に設けられている。
宿場の治安維持のために東西にある木戸(門)の跡
明治天皇より古い石見を賜った書家の出生地碑
しばしば火災にあったためか、秋葉信仰が盛んだった。日坂宿内に三基の秋葉常夜灯がある。
「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つことから多くの人から崇敬を集めた。
竜宮の使者としてやってきた雄雌二頭の大鯨が殺されて八幡宮の向かい側の山となった伝説の山。
「雄鯨山、雌鯨山」の伝承が残る場所。
宿場までの里程が記され、信仰対象として福天権現参りが行われていた。
江戸より57里の一里塚
歌人として名高い石川依平の出生地
大物主命を祭る大頭龍大権現と大福天という天狗を祭る福天権現への道標
逆川に架かる橋。かつて源頼朝が橋のない川にウマの鞍を架けて渡ったという伝説がある
直径1mほど小さく盛り土され、一里塚らしい松の木と植栽を施した小公園に整備されている。
『大概帳』によると朝鮮使節の宿となるなど東海道と関わりの深い寺だった。
オランダからの使節。11台将軍家斉に謁見後、長崎へ帰る途中掛川宿で病死した。
掛川城の玄関。桜門作りの本格的なやぐら門
道徳と経済の調和実行を説き、農民の救済を図った二宮尊徳の教えを全国に広める『報徳運動』の本社。