江戸時代ここに舞阪宿唯一の橋が架かっていた。
遠州七不思議より浜名湖の守り神として伝えられる。
稲荷山の名で親しまれる。五社の大神を御祀りし、総称して、稲荷大神と呼ばれている。
江戸時代中頃に造られた見張所の跡。石垣の横に番人が立って人馬の出入りを監視し、治安の維持にあたった。
東海道舞阪宿、宿内件別書絵図宿有り
開創は江戸初期。宝珠院の東隣にあり、門前をぬけると六地蔵が祀られている。
宝珠院入り口にあり、秋葉山を祀っている。
宝珠院境内には海苔商人、森田屋彦之丞と大森三次郎の墓碑がある。
古事記に出てくる大国主命に致命傷を与えたといわれる赤石が神社内にある。
舞坂宿は江戸から30番目の宿場で、東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場だった。
天保9年建築の脇本陣茗荷屋が、平成9年復元され、旧東海道に残る唯一の脇本陣となる。本陣の正面にある
江戸時代に階段状に造られた一般庶民用船着き場。「渡荷場(とかば)」ともいう。
文化10年に建立
江戸時代に階段状に造られた武士用船着き場。
十一面観世音や金比羅大権現などが祀られている。
江戸時代に階段状に造られた大名・役人用船着き場。
境内には天女の松があり、子宝、縁結びの神としても親しまれている。