記録によると、吉田藩他120家が利用。庄屋も勤めた名家
安政二年(1855)に建てられた全国で唯一の関所建造物。国の特別史跡。
紀州藩御用達だった紀伊国屋が資料館となっている。江戸時代は旅籠を兼ねて料理を出していた。
天保年間の記録では小浜、桑名、岩和田藩など70家が宿泊に利用した。
旧芸者置屋。新居の町家の特徴を引き継ぐ。飾り柱のある大正時代の建物。
新居の寺道通りは5つの寺と2つの神社を結ぶ小道。その寺道に沿った天台宗の寺。
新居4神社の一つ
寺道沿いの曹洞宗の寺。最も古い建物としてジキジキ像が祀られている。
街道に要する人足や馬が近隣より寄せ集められた場所。
寺道沿いにある寺の一つ。松山新田開拓者、野口休可の墓がある。
諏訪神社の御神木であるケヤキは町内最大の樹木。樹齢で400才以上といわれる。
寺道沿いにある寺。鎮守堂には学問の神様天神様が祀られている。
寺道沿いにある寺。境内には子安観音、関所稲荷、東海道の旅人の安全を見守る鯖弘法大師が祀られる。
天正12年小牧長久手の戦で徳川方に討ち取られた秀吉方の大垣城主池田恒興の首塚がある。
火防の神としてあがめられた秋葉山の信仰から、信仰や供養の形として寄進されたものが多い。
江戸から69番目。
建保5年(1217)運慶が薬師如来、脇侍物の十二神将を制作し奉納、諸堂を建立し開山。
宿場のはずれを言う。道の両側より土塁が突き出して、一度に大勢が通れないようになっていた。
建久元年(1190)源頼朝が上洛のおり、橋本宿に宿泊した時にこの水を茶の湯に用いたと伝えられる。
浜名川に架けられた長さ170m、幅4mの橋で、災害により10数回架け替えられたらしい。
1300年創建の古刹で、楼門は江戸期のもの。
足利義教が富士歴覧の途中立ち寄り、紅葉を称賛したので、以来、紅葉寺と呼ばれるようになった
中世の歌人藤原定家の息子で続古今の選者為家と十六夜の作者阿仏尼の歌碑
旅人が休息する所。ここは新居宿と白須賀宿の中間
火之迦具土を祀る神社。徳川家康の崇敬を受けた。
民家の前に並んでいる一里塚跡と高札場跡の石柱
曹洞宗の寺で、本尊の聖観音像は承応三年(1654)漁網にかかって海中より出現したと伝えられている。
文明8年(1476)今川義忠を葬った場所と伝えられている。
大正13年4月、町民の勤労奉仕によりこの場所に公園が造られ、明治天皇御聖跡の碑が建てられた。
明治天皇が潮見坂上で休憩されたのを記念に建てられた明治天皇御聖跡碑をはじめ、様々な石碑が立つ
遠州観音札所の23番札所の寺。境内に登る道には八十八所の石物が並ぶ。
東海一の閻魔大王を祀っている。
建物は存在していないが、周囲の格子戸付きの民家などから往時がしのばれる。
脇本陣跡の石柱が残っている。
昔は火事の延焼を防ぐために道の両側に植えられていた。静岡県では白須賀のみである。
国学を学び本居宣長の門に名を連ねた夏目甕麿の屋敷跡。
見猿、聞か猿、言わ猿の三匹の猿がいる。境宿
法令や通達を建てた高札場跡